ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

インサイドヘッドとあやさんのお誕生日

なんて力強いメッセージをくれるんだろう、と映画館で初めてみた時に思った。
「頭のなかってどうなってるんだろうって考えたことない?」というヨロコビのナレーションではじまる。あるある。可視化された頭の中は、楽しそうだった!

ライリーという女の子の頭の中が舞台。ヨコロビ、カナシミ、ムカムカ、イカリにビビリ。人格化した5つの感情が物語を進めていく。
それぞれに色があって、ヨロコビの記憶は黄色、カナシミは青、ムカムカが緑で、イカリは赤、ビビリは紫。それらの感情を伴った思い出がどんどん蓄積されていく。その中でも「特別な思い出」と呼ばれるものが、ライリーの性格を形づくっていく。
その「特別な思い出」とヨロコビ、カナシミが司令塔からいなくなってしまい、ライリーは感情をうまくコントロールできず、転校先の学校でも、家族とも関係がうまくいかなくなってしまう。
ヨロコビとカナシミが司令塔に帰るまでの物語。
最初、ヨロコビはカナシミのことを疎ましく思う。ライリーには幸せになってほしいから、悲しい感情なんて持ってほしくないのだ。
その気持ちが変化していく。
2人はライリーの空想の友達、ビンボンと出会い、ビンボンの案内で司令塔に戻ろうとする。その途中でビンボンは、ライリーを月に連れていく約束を果たすために持っていたソリを、忘れられた記憶の谷に捨てられてしまう。
飴の涙をこぼすビンボンに「起きてしまったことは仕方がない、司令塔を目指そう」とヨロコビ先を急がせる。泣きやまないビンボン。カナシミがそっと寄り添う。「大切なものを失うのは悲しいよね」と。それで泣きやみ歩きだしたビンボンを見て、ヨコロビはなぜビンボンが立ち直ったのか分からない。
それが分かるのは少し先のこと。
ライリーの「特別な思い出」を見ているときのこと。それはアイスホッケーの仲間と大切な試合の後の喜びあっている記憶。しかし、カナシミは言う。「この大切な試合でシュートを外してしまったライリーは、ホッケーを辞めようと思うくらい落ち込んだ」と。怪訝に思ったヨロコビがその記憶を巻き戻してみると、仲間の輪から離れ、木の上で一人落ち込むライリーの姿が映し出される。そしてライリーの元にパパとママがやってくる。二人の間で涙を流すライリー。その後仲間たちが慰めてくれる。それが最初にヨロコビが見ていた記憶の瞬間なのだ。
「悲しみを共有できたから特別な思い出ができた」ことに気がついたヨロコビ。

ヨロコビは超ボジティブ。暗闇でもどこからでも分かるくらい他を惹きつける光を放ち、何度失敗しても絶対に上手く行くと挑戦を諦めない。でもそれは時に自分を傷付けたり、大切な何かを失ってしまうこともある。ボンビンが忘れられた記憶の谷に消えたように。
カナシミは後ろ向き。いい思い出もマイナスにしかとれないし、すぐにもうだめーと言う。でも、カナシミは立ち止まって次にどうしたらいいか考える時間をくれる。辛い心に寄り添ってくれる優しさを持つ。
どんな感情もいいだけでもなく、悪いだけでもない。それは、ムカムカもイカリもビビリもそう。

司令部に戻った二人。家出をしようとしたライリーを心配するパパとママを前にして、ヨコロビはカナシミに感情を任せる。
引っ越し先の家はさびれていて、荷物を乗せたトラックはまだ着かず、パパの仕事も上手くいかないでパパもママもイライラ。そんな中家族を気遣って明るく振る舞っていたライリー。ママはその明るさが救いだと言ってくれたが、引っ越しなんかしたくなかったし、友達とも離れたくなかった、ミネソタに帰りたい、お願い怒らないでと涙を流す。
悲しいという感情を抑えて明るく振る舞っていたライリーが、悲しみを取り戻すのだ。ライリーの本当の気持ちを知った両親は、優しく抱きしめてくれる。
そして、黄色と青の混ざった記憶のボールが、特別な思い出として頭の中にやってくる。

最初に書いた「力強いメッセージ」というのは、3つあった。
ひとつが、俗によくないと言われる、悲しみや怒りの感情も、否定しなかったこと。
「悲しむのはよくない」って言われると、私の感情を否定しないでほしいとよく思っていた。悲しみも怒りも、よかろうが悪かろうが全部自分の感情だと、そう言ってくれたことが嬉しかった。
そして、「よかろうが悪かろうが」って書いたけど、感情にいいも悪いもないというのが2つ目のメッセージ。
3つ目は、ライリーが成長していくにつれて、色の混じったボールが増えてくる。司令塔の感情のコントローラーも大きくなり、ボタンも増え複雑になる。これだ。感情は複雑だ。私は複雑だ。シンプルなんかじゃない。
自分の感情をもてあますとき、きっと記憶のボールはカラフルで、今までに見たことのない色をしているのだろう。そう考えると、ワクワクするのだ。

今日2月18日は渡辺あやさんの誕生日。大好きな脚本家。あやさんが脚本を担当した「合葬」の感想を書きたくて、このブログをはじめたのだ。
あやさんは講演会をあまりしない。脚本以外の媒体で文書を書くことがほとんどない。それはなぜなのかとの問いに、この映画のワンシーンを例に出して答えていた。
「私にとって、自分の考えというのは単なる業務用の材料みたいな感じで、どさっとおいておかないといけないものなのですね。」それを人前で話すとなると、わかりやすいように言葉をきれいにしないといけない、だけどそうなってしまったものは、「脚本を書くときにあまり役に立たないわけです。だから、なるべくどさっと汚いまま置いておきたいのですね。
このあと映画の考えの列車に乗るシーンにふれている。
近道のため危険と書かれた部屋に入ったキャラは、3Dから2D、さらに記号になってしまう。「自分の考えていることが記号になってしまうと脚本に使えない材料になってしまうので、あの「考えの列車」に乗せないようにしているんだと思います。」

あやさん、お誕生日おめでとうございます。またあやさんの作品に出会えること楽しみに待っています。

マギーズ・プラン~幸せのあとしまつ

マギーが登場人物たちと結ぶ関係が、枠に囚われていなくて居心地がよかった。

略奪した不倫相手の元妻(ジョーゼット)とか、恋愛が半年以上続かないマギーが2年続いた元彼(トニー)とか、その元彼の妻で職場の同僚の親友(フェリシア)とか。文字だけで見ると、どろどろしてそうだし、いい関係が築けているとしても、そうなった特別な「理由」なんかを求めてしまうのだけど、マギーが彼らと結ぶ関係はサラリと描かれていて、当然のように映画の中に存在している。それがいい。関係性の名称に囚われない、マギーとその人だけの関係性。

恋愛が長続きしないマギーは、結婚はいいから子供がほしいと、大学の同級生に精子だけを提供してもらう。
その頃、同じ職場に勤めるジョンと出会う。ジョンの妻・ジョーゼットはコロンビア大学の教授として忙しく働き、ジョン自身は小説を書くために非常勤で勤め、家では家事を担う。
そして、ジョンからそこはかとなく漂う「ダメ男」の空気。
ツイッターで「ジョンの食べ方が子供っぽい」のがその理由と書かれているのを読んで納得した。そう、食べ方とか座り方とか、ジョンは確かに子供っぽい。見ているときはそこまではっきりとは思わなかったけど、マギー、この人は苦労するよーって思っていた。このあたり、作りが上手いですね。
案の定、子供の世話(ジョーゼットとの間の2人の子供も)も、家事も、仕事もしなくなって、全部マギーがやることに。ジョンは書き終わらない小説をだらだらと書き続ける。
そんな生活に嫌気がさしてきたマギーは、ある日、ジョーゼットの本の出版のお祝いの会に参加。その本は自分達の不倫の話が書かれている。夫に不倫されて捨てられたのに、それを本にしてしまうジョーゼットのたくましさ。転んでもただでは起きない感じが好きですね。
ジョーゼットと話したマギーは、彼女がまだジョンのことを好きだと確信。なら、ジョンを彼女の元に返そうと、工作を図る。これをトニーに相談すると、案の定怒られる。
この後、その工作がジョンにばれて、ジョンは家を出ていく。

ジョンへの工作がジョーゼットもかんでいたと知ったジョンが、ジョーゼットの家を出た後のこと。ジョーゼットと子供2人がマギーの家に来る。そのまま一緒に住んじゃえばいいのにと思った。
マギーとジョーゼットの関係は、普通に考えたらいがみあって当然の仲なのに、映画で描かれる関係が当然のことのように思える。この二人は互いに好感を持っているんだよね。それは、共犯者意識も働いているように思うのだけれど。
キッチンで自分のしてしまったことに悩むマギーに、ジョーゼットがタッピング療法を教えてくれるシーンが好き。「コントロールしたくない」と言いながら、額を、肩を、体のあちこちをタッピングしていく。その言葉を染み込ませるように。ジョーゼットもこうやって辛い時や悲しい時を乗り越えてきたんだなと思った。
この時、マギーが「正直に生きたい」と本音をもらす。

マギーのしたことは自分勝手だと思う。でも、不思議と応援したくなる。「正直に生きたい」と言う彼女は、自分の幸せを自分で決めて、批判も、怒られるのも、後ろめたさも受け止めながら、行動する。その姿が清々しい。

正直に生きることは、きっと思っているよりも大変で、そんなにいいものじゃないのかもしれない。傍から見たらわがままで、自分勝手な行動だし、誰かを傷つけている。それに気が付いて自己嫌悪にも陥る。でも、正直に生きなければ手に入らないものがあるなら、全部引きうけて行動するしかないんだよね。


マギー、あなたの生き方が好きだよ。

どうしても行かなきゃいけないライブが追加された人生

「どうしても行かなきゃいけない女子プロレスの試合」とあって笑った。

久しぶりに雨宮まみさんの人生相談「穴の底でお待ちしています」を読み返した。熱中できるものがなく、習い事に合コンに資格取得にと手当たり次第始めてみたがどれも続かなかったという相談者。相談者とは逆に、何にでもすぐ熱中できるタイプだという雨宮さんが、ご自身の体験を交えて答えていく。そこに出てくる言葉。
その後の「お前解説でもやるんかって話ですよ。ただの客なのに」との突っ込みにも笑う。

去年THE YELLOW MONKEYが復活して「どうしても行かなきゃいけないライブ」が人生に追加された。
何かに熱中していると、ふと、こんなことしていていいんだろうという不安がよぎることがある。他にやることがあるんじゃないか、同年代の女性が当たり前のようにしていることもできていないのに、こんなことしている場合なのか、と。

雨宮さんは、「本物の熱狂というのは、そういう「これでいいんだろうか?」を一瞬忘れさせてくれるもので、大げさな言い方になりますが、人生の虚しさや理不尽さに対し「それがどうした」と言ってくれるようなものだと私は思います。私はその瞬間が大好きなので、見境なくその瞬間のために、時間もお金も突っ込みます。」と書く。
だから私は、「どうしても行かなきゃいけないライブ」に行くのだ。

熱中できるものがないという相談者に、雨宮さんは、みんなと同じことが好きじゃなくてもいいし、静かに過ごすのが好きなら、理想の静かな場所を探したり、田舎に越すためにお金をためるとか、そういう方向の好きなことをする、があっていいと思うと寄り添う。
悩み相談に答える雨宮さんは、決して相談者の考えや価値観を否定しない。どうしてそう思うのかをご自身なりに分析して、複雑に絡み合った悩みを一個一個に分解して、でも、雨宮さん自身の答えを押し付けることもしない。そのスタンスが好きだった。
人生の進み方は自分にしか決められないと分かっていても、誰かに助けてもらいたくなる。そんな時、一刀両断で悩みを切り捨てられても、わかるわかるあなたは悪くないって抱きしめられても、うわーやめてーって思う。世間一般の考え方で切り捨てられても、それは分かってるけど、それでも自分は悩んでるし、いや、だからこそ悩んでるし、わかるわかるって言われても、あなたに分かられてたまるかって思う。
簡単に答えなんて出ないのだ、簡単に進む道なんて分からないのだ。こういう考え方もあるよ、そんなに自分を責めることはないよと、同じ目線で伝えてくれる雨宮さんの文章が好きだった。

TVBrosに書かれた記事で、雨宮さんもTHE YELLOW MONKEYのファンだったと知った。バンドに対する思いに、特に吉井さんの書く詞に対する表現はぐっとときた。
もう叶わないことだけど、雨宮さんが書くTHE YELLOW MONKEYをもっと読んでみたかった思った。

「これでいいんだろうか?」と悩んだとき、私はTHE YELLOW MONKEYの音楽を聞いて、DVDを見るだろう。お気に入りの映画やドラマを見るだろう。雨宮さんの文章も、また読むだろう。

幸せな貝

先日「幸せなひとりぼっち」という映画を見た。

長年連れ添った妻のソーニャに先立たれたオーヴェは、町内会を見回っては厳しく注意するため、厄介者扱いされていた。長年勤めた会社も首になったオーヴェは自殺をしようとする、と、車通行止めの敷地に入ってくる車を見つけ、思わず注意にいってしまう。向かいに引っ越してきたパルヴァネ一家だった。ぶつぶつ文句を言いながらも運転下手な夫に代わって駐車を手伝うオーヴェ。自殺の出鼻をくじかれる。

その次もその次も、自殺しようとする度、何かと邪魔?が入り、達成できない。そんな様子がコミカルに描かれる。

神様が今じゃないって、言ってるんだ。もうちょっと生きてみなさいって言ってるんだ。と思った。こういう都合のいい考え方、好き。自分でもよく採用する。

 

年始一発目のライブで、声が出なくなった吉井さん。順調に回復してると、ファンクラブのメッセージを通じて知らせてくれた。一安心。しばらくは貝になるとのこと。

これも、ちょっと頑張りすぎたから、ちょっと休みなさいって、メッセージなんだ、と思って、ゆっくり休んでほしいな。

必要以上に反省しないで、自分を責めすぎることなく。

 

パルヴァネは、遠慮することなくオーヴェや周りの人に頼る。そして、何のためらいもなく困っている人を助けようとする。彼女は移民で、妊娠中で、子供二人と、あまり頼りにならない夫を支えてきた。そんな背景もあってか、彼女は人を頼ることも助けることにも躊躇がない。当然のことのようにする。それにふれて、オーヴェの少しずつ心を開いていく。

 

当日ライブ会場にいたファンの人のツイッターで、エマちゃんが一旦ステージを降りるとき、「こんなこともあるよね」と言ったと、知った。優しい言葉だと思った。

吉井さんのブログでも、早いうちから吉井さんの喉の調子がよくないと察知したメンバーが、それをカバーしようとした様子がつづられていた。

感動もしたけど、まず、安心した。メンバー間で大変なことを共有できている、頼ったり、頼られたり、そんな関係が感じられて、安心した。

 

ゆっくり休んで、またステージに戻ってきてください。

 

今年も申年

2016年1月8日、ちょうど一年前の今日、THE YELLOW MONKEYが復活した。

同時に発表されたアリーナツアーで、ラストの真駒内2DAYSは絶対に行こうと決めたけど、他は、仕事の先の都合が見通せなかったので、この段階では見送ろうと思った。

友達にメールして、それでもまだ実感がわかなくて、いろいろ思ったけど、やっぱり嬉しかった。

解散したバンドが復活したってニュースに触れると、よく、「これが、THE YELLOW MONKEYだったらどう思うんだろう」って考えてた。確かに好きだったけど、それは、あの時の彼らで、あの時の自分だったからで。今さらと思うのか、もしそうだったら嫌だななと、答えのでないことを考えていた。それが現実になって、わかった。全部杞憂だった。

嬉しかった。

エンジンのかかりが遅いのはいつものことで、5月の代々木に行った友達の話を聞いたり、初日に中継を後からYouTubeで探して見たり、ライブの感想やレポをアップしているブログを見たりしているうちに、早くライブに行きたい!と、一般発売でチケット申し込んでもどこも取れず。それでもまだ本格的にかかっていなかったのか、その後発表されたホールツアーも、見送ってしまった。

待ちに待った9月。かっこよかった。エロかった。あの頃の彼らとも違うけど、変わっていない部分もあって、確実に変化した今のTHE YELLOW MONKEYのライブを見せてくれた。

今の彼らをかっこいいと思うことは、過去の彼らを否定することではない。その逆も然り。だってどっちとも圧倒的にかっこいいライブを見せてくれたんだもん。

4人とも現役で音楽活動を続けてきて、いろんな経験して、いろんな感情味わって、今の4人があるんだなと思った。

ようやくエンジン本格的にかかって、ホールツアーの一般発売申し込むもまた取れず。トレードに申し込んで唯一取れたのが長崎。

THE YELLOW MONKEYをホールで見るのは初めて。楽しかった!楽しかった!ちょう楽しかった!来年ホールツアーがあったら、絶対行けるとこと全部行く、遠征すると決めた。

年末にファンの人たちが、2016年の申年はTHE YELLOW MONKEYとともに駆け抜けた、文字通り申年だったってブログやTwitterに書いているのをみて、うらやましかった。ライブに参加した本数とか、遠征した回数とか、そういったこととは関係なく、そう言い切れない自分が悔しかった。ああすればよかった、こうすればよかった、そればっかり。

だから、今年も申年にしようと決めた。

そんな(個人的継続中の)申年1月1日、目が覚めて真っ先に飛び込んできたニュースが、吉井さん声が出なくなる、だった。心配した。ファンになるってこういうことだと思った。彼らの行動や言動に一喜一憂して、心が乱されることもある。いいよ、いいよ、望むところだよ。

ということで、映画ブログだけど、THE YELLOW MONKEYのことも書いていこうと、そう決めた。

ケンとカズ

職場の前でカズを待つケン。そこに来たケンが、カズの後ろからお尻を軽く蹴る。それを合図に歩きだす二人。会話はない。
あぁ、この距離感。
パチンコに行って、帰り道、ここでも会話もなく、2人のバックショット。
あぁ、この距離感。
別れるとき、何か言いたそうなカズの表情。子供のことが切り出せない。

この一連のシーンがすごく好き。冒頭の車の中の会話と、事務所でのカズがいないところでのテルや社長の口ぶりから、ケンとカズの関係が浮かび上がってきて、最初に書いたシーンに繋がる。シーンや会話を積み重ねて関係性を描く上手さに惹きつけられる。
この時、既にカズは、ケンの彼女、早紀が妊娠していること、そのことをケンが切り出せないことを知っていたのだろう。
なぜ自分だけに言いだせないのかも、ケンが子供をきっかけにこの仕事を辞めようとしていること、カズは全部わかっている。
「子供ができたからって、てめえの都合だけで辞めるじゃねえんだよ」
このセリフは、きつかった。どこかでカズを信じたい気持ちが、私の中にあったのだ。早紀と別れろ別れろと言っていたけど、子供ができたと知ったら祝ってくれると思っていた。たぶん、ケンもそうだったんじゃないか。
このことと、カズに認知症の母親がいることをケンが知ってしまったこと。
この2つをきっかけに、ケンとカズの関係が変わったように見えた。ケンがカズのお兄ちゃん的存在に見えていたし、周りもしっかり者のカズと言うこと聞かないケンって扱いで、ケンの面倒はカズが見てるって雰囲気だったけど、カズのケンに対するライバル心とか、優位に立ちたい気持ちとか、引き留めたいこと、もう引き返せない、これを選ぶしか道はないという悲しいまでの覚悟を感じて、対等になろうとするカズの姿が見えた。

ケンにとって、「父親」という存在はなんだったのだろう。
「あんたなんか父親になれるわけないじゃん」と早紀に言われた時、ケンは手をあげる。
一方的にカズに殴られていたとき、殴り返すのも、父親になんかなれないの言葉だった。
藤堂から、父親になるんだから、と言われると、嬉しそうにほほ笑む。
ケンは、人生を変えようと思っていたんだ。子供のことをきっかけに覚せい剤の世界から足を洗って、早紀と三人で生きようと思ってたんだ。
「子供ができたからって、てめえの都合だけで辞めるじゃねえんだよ」カズのセリフでつきつけられる厳しい現実。どうにかならなかったんだろうか、他に方法はなかったんだろうか。

裏社会とか覚せい剤の密売とか聞くと、薄暗い画面を想像する。
この作品の画面は明るい。日の光の中だ。それが一層厳しさを突き付ける。
日常と隣り合わせなのに、遠い。
国広を襲うのも、覚せい剤の取引しようとするのも、カズがさらわれるのも、日の光の下。藤堂の事務所も普通の部屋。カズが囚われる場所も事務所の一室とか倉庫じゃなくて橋の下だったり、どこにでもありそうな場所で行われることに、より一層絶望する。どこにでもある日常に溶け込んでいるからこそ、そこから抜け出すことのむずかしさを思う。
ケンのこともカズのことも、かわいそうとは思わない。自業自得とも思わない。ただ、違う人生を、望む人生を選ぶことはできなかったのか。そうさせてあげたかったと思った。

見終わった後、予告を初めて見て、カズがケンに「おまえがここ誘ってくれてよかったよ。一人じゃ今頃何しているか想像もつかねえ」って言うセリフが流れて、2人の関係を表してるセリフだなと思った。これを映像だけでも見せてくれたから、この作品好きなんだけど、欲を言えば、テルも含めた3人でバカ話とかしてるシーンをもっと見たかった。わちゃわちゃが足りない。そんなん見たら、もっと辛くなるのは分かってるんだけど、だって、カズはケンのこと大好きじゃない!?もう行動、セリフ、全身からカズが好きって叫んでた。ケンもカズのこと可愛いと思ってるじゃない!?手のかかるほっとけない弟みたいな。そんな2人の関係性を勝手に読み取ってしまったから、見たくなるのは仕方がない。

ブリジット・ジョーンズの日記

15年前は本も読んだし、映画も見た。今回の続編の公開は、今さら感が否めなかったんだけど、見てよかった。2016年版にアップデイトされている。
誰にも否定されない世界って、こんなにも心地がいいものなのか!!
とにかく泣きましたよ。
一人で行って、隣も女性一人、逆の横は女性2人組、前後も女性ばかり。鼻すすってる人もいっぱいいる。隣のおひとりの女性とは同じタイミングで、ずずってやったよね。あぁ、現実の世界で頑張ってるブリジットがこんなにいる。

まず、いいなと思ったのが、ブリジットが妊娠したことで自分を責めない。年齢とか父親のこととかキャリアのこととか、もう考えれば考えるだけ自分を責める要素があるんだけど、もちろん自己嫌悪に陥ることはあっても、彼女は必要以上に自分を責めないし、必要以上に反省もしない。そうだった、ここがブリジットの長所だった。立ち直りの早さは健在。
そして、周りも。妊娠したことを喜んでくれる。2人の父親候補も。
妊娠を女性一人の問題にしない。女性一人に背負わせない。相手と共に向き合っていくものとして描いている。
女友達描写も良かったんだけど、産婦人科の先生がよかったー
無痛分娩にするには遅すぎてそのまま生むことになったブリジットに、ジャックが「気持ちがあれば痛くない」的なことを連発するんだけど、先生の「子ども一人出すのに痛くないわけがない」みたいな言葉はスカッとした。

そして、マーク・ダーシーのかわいさかっこよさ。噂に聞いていた以上。
赤ちゃん教室で、ジャックとカップルと勘違いされたときと、過激なパフォーマンスグループの裁判に勝って、彼女たちがマークへの感謝を体で表現したときの、どう反応していいかわかんなくて、無表情になるマーク、かわいい。
ブリジットに妊娠したと告げられて、「失礼」と部屋の外に出るの、かわいい。どうやって喜んだのか知りたい。何事もなかったかのように戻ってくるのもいい。
ブリジットに陣痛がきたとき、マークに仕事の電話がかかってきて、仕事が忙しくてジャックより側にいてあげられることができなかったことを反省したうえに、たぶんてんぱったのだろう、携帯を窓から投げるマーク。なにやってんだよ笑!案の定、ブリジットから救急車はどうやって呼ぶのと突っ込まれる。
あと、これは、マークというより、演じているコリン・ファースの魅力全開な場面なんだけど、久々に再会して、ブリジットの待っているホテルの部屋に入ってくるマークが、うす暗い中たたずんでいるその姿が、とてつもなく色っぽい。

そして、ブリジットが一番欲しかった言葉、生まれてくるのが自分の子じゃなくても、その子のことも愛しているって、言ってくれる。
ジャックの嘘で、マークはお腹の子が自分の子じゃない可能性が高いことを知り、ブリジットの前から去る。そして、戻ってきたときには覚悟を決めてきたんだね。

出産がいいことばかりじゃないのは、それはそうなんだけど、それでも妊娠したブリジットを祝福し、誰も責めないこの世界は、見ていてとても励まされた。
妊娠だけじゃない、結婚しないこと、子供をもたないこと、女性を縛るたくさんの「こうでなければならない」から解き放たれた世界は、とても生きやすそうだった。

あと。サブタイトルはあまりにもひどいのでタイトルにいれませんでした。