ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

スポットライト 世紀のスクープ

この映画で覚えた英単語がある。「responsibility」責任。
マイクがある文書の開示を求める。それは、枢機卿が神父のやっていたことを知りながら、黙認していたことを示す証拠。判事が言う。
「この文書を記事にした場合の責任は誰がとる?」
「では記事にしない場合の責任は?」とマイクが返す。
映画は1976年から始まり、記事が出た2002年で終わる。記事になったことを報告しに、マイクが弁護士のガラベディアンの元を訪れる。そこには、2週間前に被害にあった子どもがいた。
もっと早く事実が明るみになっていれば、あの子たちを、もっとたくさんの子を助けられたかもしれない。社会がこのことを知りながら放置した、その責任を描き出す。

被害者団体の一人、サヴィアノが持っていた様々な証言や資料に、スポットライトのチームは騒然とするが、サヴィアノは憤る。「5年前にも送ったじゃないか」と。
弁護士のマクリーシュが被害者を言いくるめ、教会側と直接和解させていたことが判明する。ビリーとサーシャが抗議に行くと、彼は言う。「虐待をしていた20人の神父のリストを送った。何年も前に。黙殺したのはそっちだ」と。
どうして見過ごされていたのか。
マイクがベンに問うと、ベンは「サヴィアノが迷惑野郎だからだ」と言う。被害者の弁護をするガラベディアンは「変わり者」と呼ばれている。
被害にあった家庭は、秘密を守るように圧力がかけられる。教会から友達から教区の人たちから。子どもの中には親にも言い出せない子がいる。そのくらい教会は、神父は絶対なのだ。
だから、そんなことはなかった、変わり者が勝手に騒いでいるだけだと、そうやって矮小化されてしまう。

サーシャに被害者は言う、「どうして従ったのかと思うだろう。ゲイだと認めてくれたのは彼が初めてだった」神父が狙うのは「罪悪感と羞恥心が強く、信仰が深い地域の子」
被害にあった子とあわなかった子の違いは何か?
ビリーは、加害者の神父のリストに知っている名前を見つける。それは彼が在学中に学校にいた神父、タルボットの名前だ。
学校側の広報は被害があったことを認めようとしない。その広報も同じ学校の卒業生。被害にあっていたケヴィンはホッケー部、広報担当者はフットボール部(アメフトだったかも?)、ビリーは陸上部。タルボットはホッケー部の監督だった。「つまり、運がよかったんだ、君と僕は」とビリーは言う。
その帰り、サーシャがふと、こうもらす。「皆がストーリを知っているみたい」ビリーが応える。「ああ、まだ俺たちが書いていないのに」

証拠は揃った。しかし、ビリーは教会側の弁護士に加害者神父を認めさせることにこだわる。そうしなければ枢機卿が謝罪して終わり、教会という組織の体質を問わなければだめだと。
その弁護士は、ビリーの友人のジミー。「何かあると知りながら誰も何もしなかった」というビリーを一度は追い返すが、「何かあると思っていた」と、神父のリストに印をつけるジミー。一人ひとりの名前は見ない。全員を囲う大きな丸。「だが、お前は?」とジミーが問う。

記事が出る前日、「情報が集まっていたのに何もしなかった」と後悔するビリーに、ベンは「このネタは、今、俺たちが見つけてきた」と言う。
ビリーは取材中にサーシャが見つけてきた「ポーター事件の弁護士20人の神父を告発」という1993年の記事のことを口にする。当時担当していたのはビリー自身で、調査をしてこなかったことを告白する。
これが、ビリーがこだわった理由だと思う。同じ過ちを繰り返さないために。

「世紀のスクープ」と副題がついているが、それから連想するような派手さも、ヒーローもこの映画には存在しない。事実を淡々と積み重ねていく。そうやってでしか真実にはたどり着かないのかもしれない。
記事は反響を呼び、被害者から続々と電話がかかってくる。今まで口をふさがれていた人たちが、どんな思いで記事を読み、電話をかけてきたのか。
これがきっかけに全米での神父による性的虐待の事実が明るみにでる。だが、枢機卿はローマに栄転したと字幕が出て映画は終わる。そのことが腹ただしく悔しい。