ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

めぐり逢わせのお弁当

サージャンが待ち合わせ場所に現われない。その日の朝、鏡の前で身支度をしていると祖父の匂いがした。電車の中で「おじさん座りますか?」と席を譲られる。自らの老いを自覚したサージャンは、待ち合わせのカフェには行くが、若く美しいイラを見て声をかけることができない。

この展開がね、いいなと思うの。
手紙を通じて心を開いていった2人。夫が浮気していると知ったイラは、ブータンに行きたいとつづる。「ブータンでは誰もが幸せだそうよ。大切なのはGDPより国民総幸福量。インドもそうだといいのに」
それを読んだサージャンが「あなたとブータンに行けたらいいのに」と返す。
(日本でも一時期ブータンが流行っていたことを思い出す)
イラがおばさんに「サージャン」という曲をかけてと頼む。それは恋愛の歌。同じ曲を電車に乗っている子どもたちが歌って、サージャンにも届く。
サージャンはシャイクに、イラという名前の恋人がいるとか言っちゃうし、このまま2人が会って恋愛関係になるのか、安易だななんて思ってしまっていたので、いい意味で裏切られた。
男性が自らの老いを自覚するって、あんまりみないなと思った。自覚しても、まだ行ける、まだ現役みたいになりがちだけど、サージャンは、イラにも会わず、早期退職もやめると言っていたのを翻し、田舎に帰ろうとする。結局田舎に帰る電車で、自分よりおじいちゃんと一緒になって、まだ先でもいいのかなと思ったのか、元の家に帰ってくるんだけど。
ラストはイラの家へ向かうサージャンが電車に揺られているシーンで終わる。2人が会ったのかどうかは分からない。イラが本当にブータンに行ったのかどうかも分からない。
はっきりしないラストが嫌だという友達もいたけど、私はこの終わり方が好きだ。イラが、いままでだったらできなかったことに一歩踏み出したのだ。

イラの行動範囲が狭い。前半は家から出ることなく、会話をするのは夫、娘と上の階に住んでいるおばさん。やっていることは家のことだけ。外出したと思ったら、実家。実家では母親が病気の夫の面倒をみている。おばさんも、寝たきりの夫の世話をしている。女性たちが家に縛られているように感じる。
ラスト近くは、それまでよりイラの行動範囲が広がる。サージャンと待ち合わせたカフェ、サージャンの会社まで会いに行く。

「母がよく言ってました。”人は間違えた電車に乗っても、正しい場所につく“」
たとえその初めの一歩が間違っていたとしても、自分で選んだのであれば、たどり着いたゴールは正しい。そんなメッセージに聞こえる。
ちなみにこのセリフを言ったのはシャイク。「あれ、孤児じゃなかったっけ?」と心の中で突っ込むと、サージャンからも同じ突っ込みが入り、「「母が」というと皆真剣に聞いてくれます」としれっと言うシャイク。彼のたくましさというか、図々しさ。でも、この社会ではこうならないと生きてこれなかったんだろうなと思わせる。

インドの学歴社会を思わせるような描写がある。イラの弟の自殺だ。原因は試験に落ちたこと。超がつくほどの学歴社会であるインドでは、どこの大学を出たかでその先の人生が決まると言われているらしい。いい大学を出ないと政府の仕事や大企業には就職できない。家族からのプレッシャーも強く、精神的の追いつめられて自殺してしまう若者が多いそう。
サージャンの会社の規模は分からないのだけど、1等車両で通勤しているくらいだから、ある程度の規模の会社だと想像する。その会社にシャイクが入るには資格を偽って、人懐こい性格と図々しさで押し通すしかなかったのかなと、そう思った。
こうした社会の見せ方が説明臭くならず、うまく物語に織り込まれている。
人口増加のあたりは、サージャンの「自分の墓を買いに行ったら、垂直型をすすめられた」とか、笑ってしまった。

先日、リテーシュ・バトラー監督の「ベロニカとの記憶」見て、サージャンぐらいの年齢だと思っていたら1979年生まれと知って驚いた。次はどんな作品撮ってくれのか楽しみ。