ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

インサイドヘッドとあやさんのお誕生日

なんて力強いメッセージをくれるんだろう、と映画館で初めてみた時に思った。
「頭のなかってどうなってるんだろうって考えたことない?」というヨロコビのナレーションではじまる。あるある。可視化された頭の中は、楽しそうだった!

ライリーという女の子の頭の中が舞台。ヨコロビ、カナシミ、ムカムカ、イカリにビビリ。人格化した5つの感情が物語を進めていく。
それぞれに色があって、ヨロコビの記憶は黄色、カナシミは青、ムカムカが緑で、イカリは赤、ビビリは紫。それらの感情を伴った思い出がどんどん蓄積されていく。その中でも「特別な思い出」と呼ばれるものが、ライリーの性格を形づくっていく。
その「特別な思い出」とヨロコビ、カナシミが司令塔からいなくなってしまい、ライリーは感情をうまくコントロールできず、転校先の学校でも、家族とも関係がうまくいかなくなってしまう。
ヨロコビとカナシミが司令塔に帰るまでの物語。
最初、ヨロコビはカナシミのことを疎ましく思う。ライリーには幸せになってほしいから、悲しい感情なんて持ってほしくないのだ。
その気持ちが変化していく。
2人はライリーの空想の友達、ビンボンと出会い、ビンボンの案内で司令塔に戻ろうとする。その途中でビンボンは、ライリーを月に連れていく約束を果たすために持っていたソリを、忘れられた記憶の谷に捨てられてしまう。
飴の涙をこぼすビンボンに「起きてしまったことは仕方がない、司令塔を目指そう」とヨロコビ先を急がせる。泣きやまないビンボン。カナシミがそっと寄り添う。「大切なものを失うのは悲しいよね」と。それで泣きやみ歩きだしたビンボンを見て、ヨコロビはなぜビンボンが立ち直ったのか分からない。
それが分かるのは少し先のこと。
ライリーの「特別な思い出」を見ているときのこと。それはアイスホッケーの仲間と大切な試合の後の喜びあっている記憶。しかし、カナシミは言う。「この大切な試合でシュートを外してしまったライリーは、ホッケーを辞めようと思うくらい落ち込んだ」と。怪訝に思ったヨロコビがその記憶を巻き戻してみると、仲間の輪から離れ、木の上で一人落ち込むライリーの姿が映し出される。そしてライリーの元にパパとママがやってくる。二人の間で涙を流すライリー。その後仲間たちが慰めてくれる。それが最初にヨロコビが見ていた記憶の瞬間なのだ。
「悲しみを共有できたから特別な思い出ができた」ことに気がついたヨロコビ。

ヨロコビは超ボジティブ。暗闇でもどこからでも分かるくらい他を惹きつける光を放ち、何度失敗しても絶対に上手く行くと挑戦を諦めない。でもそれは時に自分を傷付けたり、大切な何かを失ってしまうこともある。ボンビンが忘れられた記憶の谷に消えたように。
カナシミは後ろ向き。いい思い出もマイナスにしかとれないし、すぐにもうだめーと言う。でも、カナシミは立ち止まって次にどうしたらいいか考える時間をくれる。辛い心に寄り添ってくれる優しさを持つ。
どんな感情もいいだけでもなく、悪いだけでもない。それは、ムカムカもイカリもビビリもそう。

司令部に戻った二人。家出をしようとしたライリーを心配するパパとママを前にして、ヨコロビはカナシミに感情を任せる。
引っ越し先の家はさびれていて、荷物を乗せたトラックはまだ着かず、パパの仕事も上手くいかないでパパもママもイライラ。そんな中家族を気遣って明るく振る舞っていたライリー。ママはその明るさが救いだと言ってくれたが、引っ越しなんかしたくなかったし、友達とも離れたくなかった、ミネソタに帰りたい、お願い怒らないでと涙を流す。
悲しいという感情を抑えて明るく振る舞っていたライリーが、悲しみを取り戻すのだ。ライリーの本当の気持ちを知った両親は、優しく抱きしめてくれる。
そして、黄色と青の混ざった記憶のボールが、特別な思い出として頭の中にやってくる。

最初に書いた「力強いメッセージ」というのは、3つあった。
ひとつが、俗によくないと言われる、悲しみや怒りの感情も、否定しなかったこと。
「悲しむのはよくない」って言われると、私の感情を否定しないでほしいとよく思っていた。悲しみも怒りも、よかろうが悪かろうが全部自分の感情だと、そう言ってくれたことが嬉しかった。
そして、「よかろうが悪かろうが」って書いたけど、感情にいいも悪いもないというのが2つ目のメッセージ。
3つ目は、ライリーが成長していくにつれて、色の混じったボールが増えてくる。司令塔の感情のコントローラーも大きくなり、ボタンも増え複雑になる。これだ。感情は複雑だ。私は複雑だ。シンプルなんかじゃない。
自分の感情をもてあますとき、きっと記憶のボールはカラフルで、今までに見たことのない色をしているのだろう。そう考えると、ワクワクするのだ。

今日2月18日は渡辺あやさんの誕生日。大好きな脚本家。あやさんが脚本を担当した「合葬」の感想を書きたくて、このブログをはじめたのだ。
あやさんは講演会をあまりしない。脚本以外の媒体で文書を書くことがほとんどない。それはなぜなのかとの問いに、この映画のワンシーンを例に出して答えていた。
「私にとって、自分の考えというのは単なる業務用の材料みたいな感じで、どさっとおいておかないといけないものなのですね。」それを人前で話すとなると、わかりやすいように言葉をきれいにしないといけない、だけどそうなってしまったものは、「脚本を書くときにあまり役に立たないわけです。だから、なるべくどさっと汚いまま置いておきたいのですね。
このあと映画の考えの列車に乗るシーンにふれている。
近道のため危険と書かれた部屋に入ったキャラは、3Dから2D、さらに記号になってしまう。「自分の考えていることが記号になってしまうと脚本に使えない材料になってしまうので、あの「考えの列車」に乗せないようにしているんだと思います。」

あやさん、お誕生日おめでとうございます。またあやさんの作品に出会えること楽しみに待っています。