読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

モアナと伝説の海

「お嬢さん」に続いて、これもMADMAXFR!しかもこちらは、明らかに影響を受けている描写があり、テンションがあがる。
それは、モアナを襲うココナッツの海賊、カカモラの海賊船を見た瞬間、「これ、MADMAXじゃん、シタデルじゃん?!」と思った。戦闘シーンや移動方法も影響受けていて、見ていて楽しかった―
勝手に、他にも、モアナが自ら船を操るシーンにウォータンクを運転するフュリオサを重ね、イワオニさんたちが爆破してくれたような谷の崩落もあり、マウイが体を張ってテ・カァの雷を受ける場面ではニュークスを思い出し、涙。そして、ラストは、もう分かってる。マウイは来ないの。涙。
見終わってからネットで検索して、監督の一人がカカモラの戦闘シーンはMADMAXFRからインスピレーションを受けたと話している記事を読んだ。やっぱり!
関係ない箇所にまで、思いっきりMADMAXFRと重ねて見たけど、映画自体も素晴らしかった。(説得力ないかもだけど)

自分の心は、何を求めているのか、それをずっと問いかけてくる映画だった。
小さい頃から、どんなに父親に止められても海の向こうへの憧れを止められなかったモアナ。一度は諦め、村長の誓いの石を積もうと思ったその日、祖母から隠された伝説を聞く。それは、自分たちは元々冒険の民だったということ、そして、自分は海から授けられた緑に輝く石を、テフィティに返す使命を担っていることを知る。そしたらもうモアナの心は止められないのだ。

マウイを言いくるめ、テフィティの元を目指すモアナ。モアナもマウイも、正義感の強いまっすぐないい子ちゃんなんてありきたりな描き方をされていない。駆け引きもするし、ずる賢いし、弱いところもある。そんな奥行きのある描写が嬉しい。
そして、最初モアナは船を操れない。あんなに海の向こうへ出ることに拘っていたのに、モアナの島ではサンゴの向こうには出ていかない時期が長かったため、長い航海に耐えうる操縦や方角の読み方などの技術が受け継がれていないのだ。モアナは初めから何でも持っているお姫様ではない。冒険を通じで自ら獲得していくのだ。
あと、居心地のいい描写だと思ったのが、村長の娘であるモアナが村長になることに、「女のくせに」とやっかむような描写や、モアナが悩む描写がないこと。ディズニーではその段階は、もう描く必要もなく当たり前のことなんだろう。素晴らしい。
調子のいいマウイも、子供の頃親に捨てられ半神として生きてきた過去を持つ。テフィティの心の石を奪ったのも、人間に認められたかったから。変身するための神の釣り針を取りかえしてから、マウイの心の象徴であるタトゥーは、左胸、つまり自身の心から問いかける。「自分はどうしたいんだ」
周りから認められるとか、どう思われたいかより、自分の心はどうしたいのか、にマウイの意識が動いたのだ。

それは、モアナにも訪れる。テ・カァの雷を受けたマウイが去ってしまった後、モアナは海に石を返す。私にはできない、もっとふさわしい人がいるはずだと。その時、亡くなった祖母が現れる。そして、問う。「自分はどうしたいのか」
モアナは海に飛び込み石を探す。誰かに与えられたのではない、今度は自らが選んで石を掴みに行くのだ。

ラスト、モアナは、村長の誓いの石の上に貝殻を置く。それは、物語の始まりに海からモアナが贈られた貝殻だ。貝殻の上に石はもう積めない。もう誰も村に縛られることなく生きていく、そういう未来を目指す、それは、モアナの宣言のように思えるのだ。