ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

ぼくらの家路

この邦題、好きじゃない。ジャックの苦しんだこととか、傷ついた気持ちとか、そういうのなかったことになってる気がする。

 

目を覚ましたジャックは、弟を起こし、食事の用意をして食べさせてやる。母親の姿はない。自分は食パンをかじりながら学校へ向かう。多分、毎朝繰り返されている光景だろう。

しっかりしているジャックが、わざと我儘を言う場面が出てくる。

母親と彼氏がベッドにいる部屋に、分かっていて、お腹が空いたと入っていく。母親は怒るでも驚くでもなく(彼氏は驚いて憤るが)、裸のままキッチンへ行き、食べるものを出してやり、食べるジャックを見守る。

翌朝、母と弟と遊んでいると、彼氏が混ざってくる。それまで楽しんでいたジャックは冷めた目で彼の洋服や靴を窓から投げ捨てる。ここでも母親は怒らない。怒る彼氏からジャックをかばう。そして、怒って出ていった彼を追いかけていく。

戻ってきた母親は不機嫌で大きな音を出して皿を洗い始める。ジャックは様子を窺うように飲みかけのコップを持って母親の側に行く。

母親は仲直りの印とばかりに、ココアを入れてやる。嬉しそうに飲むジャックと、見守る母親。

母親がジャックに怒らないのは、甘えだと思った。

この、ジャックが彼氏を怒らせるようなことをする、母親が困る、ジャックが機嫌を窺う、母親はジャックを許すという一連の行為は、何度も繰り返されているような気がする。

これによって母親は母親でいられて、ジャックは子供でいられると確認し合っているように思うのだ。

ジャックは、それしか方法を知らないのだ。母親はこの方法に甘えているのだ。

 

ジャックがこの連鎖を断ち切ったのが、母親の「短い間よ」の一言。

短い間とは、母親と連絡がつかなかった3日間のこと。ジャックはこの間に弟を守るために知恵を働かせ、怖い目にもあい、不安で、心細くて、辛かったと思う。ジャックが強くあろうとすればするほど、見ていて辛かった。

母親の元カレらしきレンタカー会社に勤める男性の元でも、ジャックはマヌエルのように安心して寝ることもなく仕事をする。ジャックが安心して子供になれる時間なんて、この3日間一度もなかったのだ。

母親はそれに思い至ることもない。

子供になれる時間って書いたけど、残酷な表現だと思った。子どもで「いられる時間」じゃなくて、「なれる時間」。マヌエルのように寝られる時間があって当然なのに、ジャックにはそれがない。

 

このまま母親と一緒にいたらダメだと直感したとき、ジャックの表情が、一瞬強張ったように見えた。

靴紐が結べるようになったよと母親に見せるマヌエルと、それを褒める母親。ジャックはそこに交わらず、一人で食事を続ける。苛立っているように見える。ジャックは感情を表すことがほとんどない。辛すぎる全編で涙するのは一度だけ。代わりに自分がどれだけ泣いたか。

 

この3日間のことは母親に言っても分かってもらえない。絶対言わないとばかりに、母親に残したメッセージが書かれた紙を握りつぶすジャック。

翌日、母親を起こさないようにマヌエルを連れて家を出る。行き先は予想がつく。絶対当ってる。だから辛い。だって、それは大人のすることだ。

この映画には大人が2人しか出てこない。施設の先生と、レンタカー会社の元カレだ。母親の勤め先や友人たちはあまりにも無関心だ。

先生は施設からいなくなったジャックを連れ戻しに家まで来る。

元カレは警察に連れて行こうとする。ジャックは拒み逃げるが、警察に行ったら、施設に戻されることは間違いない。

施設に戻させるという選択をするのは大人の役割だ。それをジャック本人に、弟の手まで引かせてさせるのは、すごく酷だ。

インターホンに「ジャックです」と名乗って物語は終わる。原題は「JACK」。このタイトルがぴったりだと思う。ほんわかした邦題も、「子供が大人になる切なくも希望に満ちた瞬間を切り取った感動の物語」ってコピーも気に入らない。

ジャックは大人になったんじゃなくて、ならざるを得なかったんだよ。いつかは誰だって大人になる。でも、それを急がないといけなかったジャックを見て、私は辛かった。もっと子供でいさせてあげたかった。それが許されない環境だったんだよ。希望になんて満ちてない。少なくとも、ジャックの胸の内に希望なんてなかったと思う。それでもそう決断せざるを得なかったジャックが、少しずつでも安心して寝られるようになればいいなって、そう願った。その積み重ねの先に、ジャック自身が希望を見出せたらいいなと思った。