ムーンライト
フアンに支えられて海に浮かぶシャロン。全身をフアンに預ける。信頼していないとできないこと。水面ギリギリから二人をとらえるカメラ。波で画面がおおわれるので、荒れているようにも見える。シャロンのこのあとを暗示しているように見える海。フアンに教えてもらって徐々に泳げるようになるシャロン。
暗い部屋に一人でいるシャロン。フアンがそこに入ってくる時、壁を壊して光と一緒に入ってくる。そして、ドアを開けて外に導いてくれる。出会ったときから、出会ったときから、フアンはシャロンにとって生きる道しるべを示してくれる人だった。
「自分の人生は自分で決めろ。周りに決めさせるな」というセリフは、シャロンの生きていくための支えになると同時に、フアンのそうはできなかった人生も思い起こさせる。
「生きる道しるべ」なんて大げさな言葉を使ったけど、この作品にはふさわしくない気がする。もっと身近で、もっと気安くて、安心する存在。
ムーンライトの感想が上手く書けない。上手くというのは、文章の善し悪しじゃなく、それはいつものことだし、そうじゃなくて、語るにふさわしい言葉が出てこない。大袈裟な表現ではなく、簡素な言葉を使いたいのに、選んだ言葉じゃ物語に追いつかない。気持ちがぽろぽろ零れ落ちていく。
シャロンと自分は育ってきた環境が全く違うのに、置かれている家族の状況も、性的指向も違うのに、シャロンの気持ちが画面を通して伝わってきて、自分の中に入ってきて、それは見終わってからも抜けない。感想で、見終わってからじわじわと感ずる映画だというのを何個か見たけど、こういうことなんだろう。
大袈裟な感情表現も、劇的な描き方もせず、シャロンの日常を描きだす。シャロンの悲しみも、怒りも、喜びも、彼のものとして描かれているのに、自分の感情をそこに重ねて見てしまう。
リトルの中にも、シャロンの中にも、ブラックの中にも、自分を見た。
第3部のブラックを見た時、胸が痛かった。筋肉も金歯も銃も車も、全部自分を抑え込み、守るための殻に見えた。強い男性性の象徴のような「殻」。そうしなければ、ドラックの売人という社会では生きてこれなかったのだろう。
ケヴィンと再会して、彼を正面から捉えた時の、目が、リトルだった、シャロンだった。私は泣いた。言葉が出てこない時の口元、立ち姿。ずっと、心の中にいたんだね、辛かったねって、泣いた。
シャロンが、今まで触れ合ったのは、あの時のケヴィンだけだと、告げた。周りに否定され、傷付けられてもシャロンが守り通したもの、それを尊厳というのだろう。