ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

ハドソン川の奇跡、なんかじゃない

少し前、ツイッターで「女性映画が日本に来るとこうなる」というハッシュタグが話題になった。女性の自立や強さ、女性を取り巻く厳しい社会をテーマにしている作品が、恋愛や癒し、母性を前面に押し出したポスターやキャッチコピーにされている。
日本が女性から何を奪おうとして、どういう枠にはめようとしているかが分かりやすく可視化されていた。それに腹も立つけど、何より、このせいでどれだけ自分好みの作品を見逃していたんだと思うと、ほんと腹が立った。
この映画は女性映画というカテゴリーではないのだけど、見ながら邦題あってなくないかと思い、「女性映画が日本に来るとこうなる」を思いだしたのだ。これは、奇跡なんかじゃない。

原題は「Sully」。主人公の愛称。タイトル通り主人公の目線で物語は進んでいく。彼の知らないことは画面にほぼ映らない。これは彼の物語。
まず、奇跡なんかじゃないと強く思ったのは、彼の葛藤だ。
物語は飛行機がニューヨークの街中に突っ込むシーンではじまる。次に目を覚ますサリ―。冒頭の映像はサリーの夢なのだ。この時にはすでにハドソン川への不時着水後。
また、サリーはニュースキャスターに「あなたは自分のことを英雄だと思っているのか」と聞かれる夢を見たり、バーのテレビで自分が映るニュースを見ているとき、サリーに気がついている他の客の「機長が二人いる」という言葉に、本当の自分はどっちなのか見失うようなシーンがある。
彼は自分の判断が本当に正しかったのか、他に選べる道はなかったのかという葛藤を抱えているのだ。

もうひとつの理由は、彼の職責の強さ。
不時着水後の機内を最後まで取り残されている人がいないか確認する。生存者の数を自分で確認しようとする。副機長に指摘されるまで、濡れた制服を着続けていることにも気がつかない。
最大の見せ場は、公聴会だと思う。
そこで披露されたシュミレーションでは、空港に引き返して無事着陸して終わる。それにサリーは異を唱える。エンジン停止後、シュミレーターはすぐに空港に引き返すという判断を下す。しかし、実際、そこには判断するための手段と時間が存在するはずだと。その時間13秒を待って、再び空港に引き返すシュミレーションを行うと、飛行機は着陸できないという結果が出る。
しかも、サリーは事前に公聴会でシュミレーションを公開するよう自ら要請しているのだ。
これが、本当にすごいと思った。物語の中でも緊張感の増す見せ場で、当事者であるサリーの緊張や不安なんかそりゃ、そうとうなものだろう。そんな中でも、彼は冷静だ。パイロットという仕事、役割への理解の高さが感じられる。
サリーが、事故調査委員会が「墜落」って表現するのを、一回一回「不時着水」って訂正するのもよかったな。こういうシーンの積み重ねって大事。


あと、キャッチコピー「155人の命を救い、容疑者になった男」にも違和感。私は、現実の事故自体は知っていたけど、その後を知らなかったから、映画を見る前は、サリーが訴えられたのかと思っていた。

映画の中で、サリーも事故調査委員会も原因を究明しようとしていて、誰も彼を裁こうとはしていない。サリーも責任を逃れようなんて考えもない。ただ、どういった判断を積み重ねて不時着水という選択をしたのかを説明していく。その姿勢が本当に素晴らしかった。

調べてみたら、「ハドソン川に奇跡」と言ったのは、ニューヨーク州知事だったのね。実際に使われた言葉だけど、映画の中に描かれたのは、やっぱり奇跡なんかじゃないと思うのよ。
奇跡って、いいことだけど、この映画で使ったら、サリーが積み重ねてきたものとかが否定されてしまうように感じるの。

この物語は、彼を奇跡を起こした英雄にはしない。一人の人間として描く。だから、原題がふさわしいと思った。