ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

クリード チャンプを継ぐ者

勝敗は関係なく、リングに上がり続けることが大切だというロッキーシリーズのメッセージは受け継ぎつつ、リングから降りたロッキーも優しく描き切った作品だった。

 

ロッキーシリーズを1本も見たことがなかったので、見てから行くか、秋に診てしまうか迷っていたところ、趣味の合う友人から1作目のロッキーとファイナルがおすすめと聞き、2作品見てから鑑賞。この作品自体は過去作を見ていなくても楽しめるように作られていますが、見ていってよかったと思いました。それは、フィラデルフィアの街並みを時間の経過と共に見られるからです。ロッキー自身とフィラデルフィアの様子はリンクして描かれているように思いました。

 

1作目のロッキーでは、フィラデルフィアは雑然とした貧しい地域のように見えました。治安もあまりよくはなさそう。そして、ロッキーは世界王者のアポロと戦います。今から抜け出そうという力強さを感じる作品でした。

ファイナルでは、寂れています。エイドリアンの働いていたペットショップは潰れ、デートをしたスケートリンクは跡かたもありません。マリーの家の隣はボロボロです。全盛期からは遠のいたロッキーの姿と重なります。そんな境遇に甘んじることなく、年齢を言い訳にすることなく、ロッキーは戦います。

冒頭に書いた、リングに上がり続けることの大切さを強く描いた作品です。

 

そして、今作クリードフィラデルフィアは小ざっぱりとしています。荒れた雰囲気もなく、現代の街並みです。そこにやってくるドニー。ロスからきたお坊ちゃんと揶揄されて迎い入れられますが、その彼が、フィラデルフィアに居場所を作っていきます。

彼の人物造形も現代的だと感じました。ビアンカがボクシングはもっと不良がやるものでしょというニュアンスのセリフを言います。ドニーはたぶん大学も出て、証券会社で昇進もし、将来を期待された優秀なビジネスマンです。養母メアリーアンに大切に育てられてきたことがうかがえます。

それでも彼の中で消化しきれない、父親への葛藤。会社を辞め、プロボクサーを目指すと決めた夜、彼はユーチューブで父アポロと、ロッキーの試合を見ます。しばらく眺めていた後、画面の前に立ち、映像に合わせてパンチを繰り出します。見なくても次にどんなパンチがくるか、どう動くかが体に染みついているんです。何度も何度も見たのでしょう。このシーンは、辛かった。なぜなら、彼が映像に合わせてパンチを打つ相手が、父アポロだからです。ドニーはロッキーと同じ動きをして、父親を打っているのです。

 

ドニーはプロになるため、ロッキーに指導してほしいと頼みに行きます。フィラデルフィアで、ロッキーは、レストランを経営し、エイドリアンとポーリーの墓に話しかけるのを日課にして生活しています。ジムには顔を出しておらず、ボクシングからは距離を置いているようです。現代的なフィラデルフィアに取り残されているように感じました。

そこに現れるかつてのライバル、アポロの息子。申出を断るロッキーでしたが、引き受けてからの様子がよかった。とにかく楽しそうなんです。朝練に向かうのに、ドニーが起きたときには準備万端で、ウキウキしながら音楽をかけてステップを踏んでいます。ドニーの隣でパンチングボールをニコニコしながら打っています。ロッキーはやっぱりボクシングが好きなんだなと改めて感じるいいシーンです。

ドニーは素直にロッキーの指導を受入、メキメキ成長していきます。でも、父親がアポロだということはどうしても口にすることができません。ジムのオーナーの息子との試合の直前、それがばれそうになりますが、ロッキーが止めます。彼に父親の名前を背負わせないでやってくれと頼むセリフに、かつて父の名前の重さに悩んだロッキーの息子、ロバートを思い出しました。

試合に勝った翌日、ドニーの出自がスクープされます。かつての世界王者の愛人の息子、トレーナーはそのライバルだったロッキーとくれば、世間が放っておきません。問題を起こして引退寸前の世界王者コンランから試合の申出があります。ドニーの実力ではなく、話題性に飛びついてのことでした。条件として、父親の名前で出ることが求められます。ためらうドニー。父親の名を背負い、負けてしまうことを恐れるドニーに、ビアンカは関係ない、勝っても負けてのドニーはドニーだと励まします。

タイトルマッチに向けて特訓を重ねるドニーの周りには、彼を支えるチームがあります。ロスからきたお坊ちゃんと笑われていた時から、彼は自分の居場所をこの街に作り上げたのです。そして、試合の直前、同じくらい大きな支えが届きます。息子に父親と同じ道を歩んでほしくないとプロになることを反対していたメアリーアンからです。赤と白のストライプ。クリードと刻まれたボクサーパンツを身につけて、ドニーはリンクへ向かいます。

激しい打ち合いの試合で、ドニーはKO寸前。リングに倒れ込んでしまいます。その時、走馬灯のように記憶が蘇ります。メアリーアンと初めて会っとき、ロッキーやビアンカ。そして、父アポロの姿。その瞬間、ドニーは意識を取り戻し、立ち上がります。もう、涙が止まりませんでした。映像に合わせて父を打っていた時、ドニーにとって父親は倒すべき存在でした。それが、励まし、応援してくれる存在に変わったのです。

判定でドニーは負けます。でも、判定を聞かないうちに彼らはリングを降ります。勝ちも負けも関係ない、力の限り闘うことが大切だというロッキーシリーズの力強いメッセージです。

ただ、今作では、もうひとつのメッセージが描かれています。それは、リングを降りたロッキーに対するものです。

 

時間はタイトルマッチの前に遡ります。練習中に、ロッキーはリングの上で倒れてしまいます。診断の結果は、癌。初期段階だから化学治療で治るという医師に対し、かつて同じ病気で苦しんだエイドリアンを思い、治療を拒否するロッキー。生きてほしいというドニーの気持ちに応え、治療を受け入れるロッキー。でも、ロッキーはもうリングに立つことはできません。それを象徴するシーンとして、リング上で倒れたロッキーをドニーが起こし、「リングを降りるよ」という場面があります。

1作目では、ロッキーは自分自身もリングに立つことを望み、周りもそれを期待しました。

ファイナルでは、ロッキー自身にリングに立ちたいという気持ちはありましたが、周りは反対しました。

これからは、ロッキー自身も、周りも望まないでしょう。それでも当たり前ですがロッキーの人生は続きます。

ラスト、いつも訓練で駆け上がっていた階段を、ドニーに支えられてようやく登り切ります。そこからの眺めは、かつてのフィラデルフィアとは変わっています。1作目で大通公園のような緑の帯が見えた風景が、ビル群に変わっています。物語の始まり、現代的になったフィラデルフィアに取り残されたように見えたロッキーでしたが、この場面のビル群はロッキーのこともドニーのことも包み込んでいるように見えました。

これから成長していくドニーのことも、リングに上がることはないロッキーのことも、同じように受け入れているように感じたのです。これが、今作に感じたもう一つのメッセージです。

人は誰でも、いつかリングから降りるときが来ます。年齢的なことかもしれないし、年齢とは関係なく自ら望むことかもしれないし、望まなくても否応なしにそうなることもあるかもしれません。リングに上がれなくなったロッキーに価値はあるのか??もちろんある。いや、価値なんてどうでもいいのかもしれない。自らが選んだ人生を、否応なしに選ばされた人生を、引き受けて生きていくこと。その大切さが描かれていました。

でも、それは違うリンクで生ていくこととも言えます。書いていて気が付きました。ロッキーシリーズのメッセージは、一貫されていました。