マジック・マイクXXL
テルミーワイにのせて踊るリッチーには、笑った。楽しんだ。彼らの肉体に、美しいなぁと見とれた。
でも、ローマの会員制のクラブで行われている、お札が飛び交い、見世物のように男性と女性が絡み合う場面は、正直戸惑った。
どう見ていいのか分からないのだ。恥ずかしさと嫌悪感と好奇心と罪悪感と、様々混じり合って、笑えないし、楽しめない。どう見るかなんて、自分で決めることなのに、それができない。
複雑な気持ちのまま見ていると、離婚で傷ついた心を癒したいから、ここに来たという女性が登場する。男性は彼女のために君はスペシャルだと歌う。
傷ついた心を癒しに来た彼女と、それを引き受けてくれる男性。
ここは、そういう場所なんだと思ったら、私は楽しめると思った。
でも、まだ晴れないモヤモヤがあった。それは、傷をいやすという条件がないと来たらいけないのか?純粋に楽しみたいでもいいじゃないか、という思いだった。
「傷をいやす」という条件を勝手に設けているのは自分。自分の欲望を受け入れるのに、「傷をいやす」という条件を設けないと受け入れられないことに気がついたのだ。
そう思ったら、純粋に楽しみたいって気持ちで訪れることもありだと、理解できた。
なぜ条件を設けなければいけなかったのかといえば、女性は自らの性欲をあらわにするべきではない、それをするのははしたないことだ、に縛られていたからだ。その結果、自分の欲望なのに、自分でそれが分からなくなっていた。特別な条件、つまり言い訳がないと楽しめない。だから、純粋に楽しみたいという思いだけでくることに、当初拒否反応を示していたのではないか。
楽しんでしまえばいいのだ。彼らはそれを引き受けてくれるプロだ。見に来ている人が楽しめるように、いい気分になって帰れるようにパフォーマンスを考え、体を鍛え、ダンスに磨きをかける。
ステージシーンはローマのMCが最高。煽り方にも品があって、ダンサーに対する敬意も忘れない。
観客の女性たちもいい。照れて、恥ずかしがりながらも、ニヤニヤが止まらない。まさに見ている自分の姿。
観客たち見てたら、女友達数人で笑って、騒いでみたいなと思った。条件がないと自分の欲望を受け入れられないと気がついたのは、見終わった後だから、ステージシーンのパフォーマンスは、ちょっとまだ楽しむことに罪悪感を持ったままだった。それでも十分楽しかったけど、きっと今ならもっと楽しめる。