ネタバレなしでは語れない

映画大好き。感想はネタバレしないと語れないので、思いっきり結末にふれています。

合葬 ※ネタバレあり

「150年前のこの国の若者たちの日々が、あなたの知る青春そのものであるように見えたなら、それこそはこの映画の本懐だと思う。」

パンフレットに掲載されている、この映画の脚本家・渡辺あやさんの言葉だ。

 

そう感じる瞬間が、いくつもあった。

想いを寄せるかなが、極のことを好きだと知った柾之助の嫉妬。

薩摩を討つと息巻くも階段から転げ落ち気を失う極。目が覚めた時に側にいた柾之助とかなに、無様だろう、笑えと背を向ける自意識の強さ。

稽古で極に勝った途端、得意気に自論を展開する悌二郎の極への対抗心。その悌二郎が彰義隊を一度抜け実家に戻ったとき、兄に説教されて泣く幼さ。

極の、言葉通りの「邪魔だ、どけ」を、自分を心配する「危ない」に転換してしまうかなの恋心。

彰義隊の見回りを楽しみに待つ料理屋の娘たち。

深川からの朝帰りの隊士たち。

遠い時代に生きていた彼らも、同じように悲しみ、嫉妬し、憤り、のぼせて生きていたのだと感じる瞬間が愛おしかった。

 

なぜ、悌二郎は一度は去った彰義隊に戻り戦争に参加したのが、分からなかった。今もよくわからない。ただ、「武士という価値観」が彼をそうさせたのだろうと思った。そう感じた理由は、極の存在だ。

幕府がなくなった今、彰義隊は無用の長物と言い切った悌二郎が、彰義隊に入ったのは、森に傾倒したからだ。新政府軍を倒し幕府を再建するという強硬派を抑えるのには、悌二郎のような論客が必要だと森は説く。その夜、森の心配が的中し、料理屋に居合わせた薩摩藩士を隊士が切り殺してしまう事態が起こる。止められなかったと悔やむ森の背中を見つめる悌二郎の姿に、上様をお見送りする極の姿が重なった。

極は、江戸城を去る将軍徳川慶喜の姿をお見送りしたことで、上様への忠誠心を強くし、命を捧げることが本懐だと思うようになる。そして、極は自ら腹を切って死んだ。武士として死んだのだ。

武士という価値観が、悌二郎を彰義隊へ引き戻したのかなと、考えた。

少し話はそれて、この極の切腹が「無様」なんだ。よく物語で見られる切腹って、キレイなんだけど、極のはかっこ悪いし痛々しい。多分、本人ももっとかっこよく死ぬつもりだったんだろうけど、「かっこいい死にざま」って胡散臭い。

 

幕末は時代の変わり目だと言われる。時代の変わり目とは、一言でいえば価値観がひっくり返るときだと思う。武士という価値観によって亡くなった極と悌二郎。柾之助は、その価値観を持ち合わせていないように描かれていた。養父が亡くなり、養母に仇討を迫られるも、やる気がなく、養母が体よく自分を追い出そうとしているのが分かり、仕方なく家を出る。彰義隊に入ったのも、行くところがなかったタイミングで極に誘われたから。志に燃える極や隊士たちと違い、自分の恋に一喜一憂する。そして、その柾之助だけが生き残る。

冒頭、柾之助は、「何か」を踏む。得体のしれない、腐った「何か」の正体は、武士という価値観、古い価値観を表しているように思った。

写真館へ向かう途中、極と悌之助が水たまりを気にすることなく歩くのに対して、征之助だけが避けて通るシーンがアップで映る。

柾之助の草履の裏にはまだ、洗い流せない「何か」の血が残っているのではないか。「何か」を踏みつけて、時代は変わっていった。

 

極を弔った後、極が持っていた一枚の写真を柾之助は手にする。物語のはじめに3人で撮ったものだ。

写真館の主人の言葉が蘇る。

悪天候ゆえ、少々時を要します。固まってレンズを見つめる3人に言う、「まだまだ、まだまだ」

極と悌二郎は、武士として死ねて本望だったのだろうか。柾之助はどんな思いで写真を見ていたんだろう。

「まだまだ、まだまだ」が妙に頭に残る。時代の流れに飲み込まれていこうとする若者に、そんなに逸るんじゃない、と語りかけるような優しさが感じられるのだけど、その声は届かなかった。

 

ここで、終わりかなと思ったら、映画には続きがある。

極の許嫁で、悌二郎の妹・砂世が語り出す。

「私は罪深い人間でございます」

自殺しようとしていた砂世に、夫の尾関が、何があったか話してみろ、というと、こう切りだした。

極のことを思っていた砂世は、婚約解消を悲しみ、戦争が始まる直前、兄・悌二郎に最後に一目極に会いたいと頼む。その願いをかなえようと極の元を訪れた時、戦争がはじまり、悌二郎はそのまま戦争に参加、死んでしまう。自分の「嘘」で兄が死んだことで、砂世は自殺を図ろうとしたのだ。

砂世の語りを、物語に挿入された、隊士たちの怪談のように、初めは聞いていた。怪談は作り話だ。人から聞いた話だ。

ある満月の夜のこと、ふと目を覚ますと極の姿があった。「これは夢なのでございましょうか」と驚く砂世に、極は「満月と笛の音に誘われたのだ」と言う。

満月の夜に笛を吹いていたのは、森だ。戦争が避けられない状況の中で、何とか強硬派の隊士たちも助けようと幹部に直談判するも、それは隊の関知するところではないと相手にしてもらえない。笛の音色は悲しく聞こえた。森の悲しみを、極の感じたのだろうか。その悲しさが、砂世の元へ足を運ばせたのだろうか。

興味深いのは、同じ音色を聞いていた悌二郎が、「誰だ、こんな夜中に」と舌打ちして迷惑そうにしている様子。当たり前といえば当たり前だけど、人ってどんなに思っていても、全部が全部分かるわけないんだなと思った。極は、森このこと蔑んでみていたのに、その音色に心動かされてしまうんだもの。

閑話休題

砂世の話で思い出したのは、極の語った怪談だ。これだけが、自分の身に起きたことだった。

上様が夢枕に立った。生きている上様が夢枕に立ったのは、自分の想いが強かったからだと極は言う。目を開けると、上様がいた場所に刀が突き刺さっている。「この命、上様に捧げ奉る」と、その刀で腹を切る極が映し出される。

刀は男性性の象徴とも取れる。砂世は、極の子を腹に宿していたのではないかというのは、深読みのしすぎだろうか。